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「努力」の正体、それは、未来から見た「アクションの評価」。

2009年09月19日

ども、いしざわよしのりです。

ここ数週間、ずっと頭の片隅に残っていたものがようやくすっきりした。
それは、「努力」という言葉からにじむ、嫌々ながら、無理をして…というニュアンスである。そして努力は報われるのかという問い。

「嫌々」ならば、「イチローの新記録から見えた、やり抜く力」
のようなことが、果たしてできるのだろうかと。

しかし、この引用でそれがすっきりする。

===
「努力すれば報われる」というのは全くのウソで、実際にはある「成功」が発生した時点からその成功者の過去を遡り、その現象をうまく説明できそうな適当な理由が発見された時、それが「努力」と定義される
Twitter / ls@usada
引用元:
最近見た素晴らしい「努力」の定義

===

「その成功という現象をうまく説明できそうな適当な理由」、それは、過去に対する評価であると。

「努力が報われない」といいながら、世の中に愚痴を吐き捨てながら生きる人間は、
概して、今の自分の状態しか見ようとしない。

しかし、これまでいろいろな人を見てきたが、目的志向の「未来に生きる」人は、
今の自分の状態を評価しようとはしない。
なぜならそれは、評価するにはまだ早い、道半ばの状態だからである。


そのアクションが、努力ゆえの成功だったのか、無駄な努力だったのか。
それは、自分が行ってきたアクションの連鎖という過去を、どう評価するか、それだけである。


と考えると、今私たちの目の前にある設問は次の3つである。

●目指すゴールは何か?
●そのために、何をするか?
●それをどのようにやるか?

「努力が報われない」と言ってる人には、「報われるまでやれ」という助言が適当かもしれない。
やめない限り、ゴールできるのだから。

とはいえ、ゴールに到達するというのは、他人任せではできない。

上のみっつの設問に対して適切に答えた者だけにあたえられるものである。

すべきことは、「努力すること」ではない。
この設問に答え、どうやってそこにアプローチするかという問題である。

同時にこのことは、目的なきアクションが、いかに不毛かということも示唆している。
それが苦痛を伴うことであればなおさらである。

スッキリしたのでまとめておく。



投稿者 surgitel08 : 2009年09月19日 01:06

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